標具(九本矢(山口)・おでく(菱野)・底抜け柄杓(本地)・御幣(今村川西ジマ)ほか)

 氏神等に献馬される警固祭りの際には、標具を馬の鞍上に飾りつけた馬を奉納する。飾り馬は、村の氏神に村内のシマから奉納する「郷祭り」と、猿投神社や郷社の山口八幡社などに参加する村々が「合宿」して奉納がされる場合があった。標具は、神の依り代として大変神聖視されている。
郷祭りの標具については、「シマ」の説明ページに記載。
  村々が合宿する場合の標具は各村々を代表するもので、様々な形態のものがみられる。山口合宿のとりまとめ役である山口村の標具は、鞍上の高欄の上端が幅広く、9本の銀鷹の矢が飾り付けられている。これは、武田信玄家臣の山田信濃守が猿投山に馬で登った際に、大蛇を弓矢で退治したものの毒気にあてられて亡くなった伝説にちなみ、残された9本の矢を題材にしていると伝えられる。幕末の風景を書き込んだ『尾張年中行事絵抄』には、山口の標具は1本の高札はんげと左右に柄杓のものが描かれ、九本矢標具の成立は明治期以降のものと考えられる。菱野は、梶田甚五郎にちなんだ「おでく」を標具にしている(「菱野のおでく警固祭り」の説明ページ参照)。本地は、金網でできた高札はんげと左右脇に底の抜けた柄杓を標具にしている。これは、戦国時代に侵入した他所からの侍などが村に居座らないよう、村には水が汲めないように柄杓の底を抜いて危機を脱したとする言い伝えから来ているという。 五穀豊穣や雨乞いを祈願するため馬を神社へ奉納する際、馬を標具で飾り付けた。この標具はシマごとに異なり、
祭礼でオマントを出し、ムラの名を記した標具を乗せることは一つの独立したムラとしての名誉を示すものであった。

参考文献
山口八幡社郷社祭り実行委員会2013『山口八幡社郷社祭り記 ―瀬戸市無形民俗文化財指定10周年記念―』

戻る