合宿・山口合宿(猿投神社祭礼)・吉根合宿(龍泉寺祭礼)
江戸時代、猿投山を神域とする猿投神社の9月9日の節句祭には、周囲の三河・尾張・美濃の186か村から「猿投合宿」と称して11のムラのグループが連れ立って献馬を行った。 複数の宿である村々が合流して神社に献馬奉納されるため「合宿」と呼ばれるが、「合嘱」とも呼ばれる。瀬戸市域のムラとして、旧愛知郡の山口・菱野・本地、旧春日井郡の今・美濃池・瀬戸・赤津の7村と隣接3村が「山口合宿」を形成し、山口村が取りまとめ役で先頭を行く「ハナ」あるいは「首村」と呼ばれる役割、今村が最後尾を行く「オサエ」と呼ばれる役割を担った。猿投神社祭礼に関しては、天保14(1843)年に赤津村が他の合宿参加村と争論となり、その頃から瀬戸・美濃池村とともにその後の山口合宿から姿を消すことになった。
名古屋市守山区にある龍泉寺の祭礼(旧5月18日(明治初年から旧9月18日))にも献馬する合宿が3つ行われた。その内、瀬戸市域のムラが含まれるのは「吉根合宿」で、下水野・中水野・上水野・下品野・中品野・上品野・白岩・片草・上半田川・下半田川・沓掛の11か村と隣接4村が参加した。ムラの合宿ではないが、水野と守山の志段味との境にある東谷山の頂上にある尾張戸神社には、戦前には旧8月15日の例祭に水野3村内のシマが競い合って飾り馬を奉納した。昭和26(1951)年に水野村が瀬戸市に合併された折を最後に献馬行事は途絶えた。
参考文献
西角井正大1988「棒の手と献馬考」『祭りと伝承 馬の頭と棒の手』日進町教育委員会
伊藤良吉2002「下水野 10信仰」『瀬戸市史民俗調査報告書2 水野・掛川地区』瀬戸市
加藤 恬2018「民俗文化財警固祭り(献馬行事)調査事業に参加して」『瀬戸市の警固祭り』瀬戸市文化遺産活用実行委員会