郷社・郷社祭り

 猿投神社祭礼の際に山口合宿の村々が飾り馬を献馬奉納したのは、古文書によれば1862(文久2)年の参加が最古の例として確認される。合宿による献馬奉納は毎年ではなく、慶事のあった年に山口合宿は参加していた。その後、明治5(1872)年に山口八幡社が郷社となり、明治14(1881)年以降山口村の若きものたちが山口合宿(菱野・本地)や米野木合宿(前熊・北熊・大草)の一部に呼びかけて、郷社に献馬奉納する「郷社祭り」が行われるようになった。山口村からの明治14年に呼びかけたのは「当年初テ氏神祭礼、猿投祭礼同格ニテ相勤申度候」とし、猿投合宿のやり方を踏襲したものであるため、猿投合宿のミニチュア版ともいえ、「小猿投」とも称された。後に、各村の献馬を統率し、祭りの世話をする「当番鼻先」(先鼻)とか「花本」といわれるミヤモト(宮元)は6か村が交代で務めることとなった。
 昭和10(1935)年に本地と上郷(前熊・北熊・大草)との間で大きな喧嘩があり、昭和12年に日中戦争が勃発したこともあって、郷社祭りへの6か村からの献馬は長らく途絶えた。しかし、平成御大典の折に郷社祭りは行われた(平成2年)。また、瀬戸市無形民俗文化財指定10周年を記念して平成25年にも郷社祭りは行われ、260名に及ぶ隊列がみられた。100か村を超える献馬がなされる猿投神社祭礼は今日行われていない。明治期に制定された郷社へ村々が献馬奉納する郷社祭りは、山口八幡社のみでなく日進市の本郷白山宮や長久手市の岩作石作神社などでも行われたが、3か村以上参加の規模を残し今日まで行われているのは、山口八幡社の郷社祭りのみである。

参考文献
瀬戸市史編纂委員会2001『瀬戸市史民俗調査報告書1 幡山・今村地区』瀬戸市
山口八幡社郷社祭り実行委員会2013『山口八幡社郷社祭り記 ―瀬戸市無形民俗文化財指定10周年記念―』
神谷幸夫2008「第5章 社会生活 第2節 尾張東部の社会組織と祭礼」『愛知県史 別編 民俗2尾張』愛知県

戻る