菱野のおでく警固祭り(市指定文化財)・菱野熊野社・菱野郷倉文書

 菱野の警固祭りは、古文書によれば1862年(文久2)には猿投神社祭礼に向け献馬奉納する「合宿」への参加が確認され、現在では、毎年10月の第2日曜日あるいはその前後の日曜日に菱野熊野社へ飾り馬を奉納する警固祭りが行われている。中でも、大きな慶事の年は、通常の郷祭りとは異なり、飾り馬の標具として人形の「おでく」をいただいた「菱野のおでく警固祭り」が行われた。平成20年に瀬戸市指定無形民俗文化財に指定され、近年では無形民俗文化財継承のため3年に一度「菱野のおでく警固祭り」が開催されている。祭りの特徴は、おでくと呼ばれる梶田甚五郎を模した人形を標具として用いている点が目を引く。伝承では、小牧長久手の戦いの折、羽柴秀吉方の若武者であった梶田甚五郎が戦勝祈願のために猿投神社に行こうとしたところ、落ち武者と間違えられて菱野村で惨殺されてしまった。その後、菱野村に飢饉や疫病が流行ったため、甚五郎の祟りではないかと考えられ、その姿を菱野村の標具とし、猿投神社に参ることができるようにしたところ、豊作が続いたとされる。菱野のおでく警固祭りには、棒の手も披露奉納される。起倒流(西脇)、起倒流祈祷立棒(羽根・新田(かつての門前)・台六)、検藤流・無二流(菱野(かつての西島)・福元(かつての中島))、片山見当流(東島・米泉)のシマと呼ばれる8つの集落群(かつては台六は門前の一部、米泉は東島の一部であったため6シマ)単位で各流派が伝承されている。
 菱野熊野社は、別名「十二所権現」とも呼ばれ、古くから菱野ムラの氏神様として尊崇を受けてきた。社殿の棟札で確認される最古のものは永正14(1517)年のものである。 瀬戸市内の地区保有の古文書は、その多くが郷倉の中で保管されてきた。中でも菱野・本地・今村・美濃之池・片草・白岩・上半田川・下半田川・沓掛の旧村の資料がよく知られている。菱野熊野社の境内地にある菱野郷倉に保管されてきた古文書は最もよくまとまっており、江戸時代の年貢減免に関する証文、村内物産調査書上、村の自治や代官所への提出書類など多岐に亘る。また特色ある文書としては「猿投合宿」や「山口合宿」に関する回章やこの地域に伝わる「警固祭り」や「おでく」に関する資料も多数含まれており、 享保二十年(1735)の「愛知郡山田庄菱野村産物取調帳」、嘉永四年(1851)の「菱野村下用書上帳」など地方史を知る貴重な史料も多い。平成20年に1482点の菱野郷倉文書が、鎌倉・室町時代の典籍大般若経155巻とともに市指定文化財となった。

アクセス
電車 愛知環状鉄道 瀬戸口駅より徒歩10分
車   猿投グリーンロード八草ICを降り、国道155・248号線を北へ向かい、赤津川を越え左折。幡山橋を右折ののち二つ目の信号を左折し県道22号線に入り左手に熊野社がある。
駐車場 
愛知県瀬戸市東菱野町66
0561-82-1070

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