警固祭り・警固隊

 「警固」とは、一般的にはオマントと呼ばれる飾り馬と、神社等へ奉納する際、その先導・警固につく「棒の手」と「鉄砲隊」をも含めた総称。由来は、飾り馬を寺社へ一日だけ奉納する行事で、農耕や慶事に対する祈願やお礼参りから発展したものとされ、江戸時代にいくつものムラが連合して豊田市の猿投神社に献馬奉納する「合宿」が始まりといわれている。
  瀬戸市域には、献馬行事の警固隊を伴う祭礼は、山口・菱野・本地の3か所に残されており、山口の警固祭りは平成15年、菱野のおでく警固祭りは平成20年、本地の警固祭りは平成31年にそれぞれ瀬戸市無形民俗文化財に指定された。3つの地区は、猿投神社祭礼や山口郷社祭りに献馬する「合宿」の形態を保ち、各氏神の秋季例大祭に奉納している。
 菱野地区の場合、当日、馬は域外から早朝借りてきて、矢田川畔で馬を清める「垢離取り」を行う。その後馬宿で標具を付け地域の親ジマに向い、次々と各シマをめぐり、途中鉄砲隊の発砲を数回行いながら練り歩く。途中、新郷地区の梶田神社に奉納する際に、地区に入る際に慶び(出合)・お迎えの挨拶、奉納後退出する際に山送り・お見送りお礼の挨拶を行う。午後に菱野熊野社に到着し、各町内から子ども獅子奉納、各シマから棒の手奉納がなされ、警固隊は馬宿に帰る日程をとる。
  警固隊は、一文字笠の村祭事・祭事係を先導として中老(村役員)が続き、中割という隊列をまとめ・鼓舞する役割の陣笠・半纏の人物が、鉄砲隊の要所要所に配置され、標具のいただく飾り馬の周りに十二丁鎌の警固者が続く、馬の後ろは棒の手隊が続く。総勢100名余りの隊列となる。

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