猿投山・猿投神社

 「千古に清き猿投山…」と瀬戸市歌に歌われる猿投山は、瀬戸市と豊田市の市境に位置し、標高629mの高さである。猿投山塊は、恵那山地の隆起帯の南西延長部にあり、北側を猿投山北断層、南側を猿投-境川断層によって切られ、周りより高まった地塁山地である。「猿投型花崗岩」の名で示されるように、全山が花崗岩から成っている。新鮮な岩肌が見られる所は少なく、著しく風化作用が進んでおり、白い山肌がここかしこにみられる。山間にはいくつもの小さな清流がながれ、本市側の山麓にはアカマツを主体とした雑木林、山腹にはヒノキの造林地があり、市境を越えた山頂付近の西の宮、東の宮あたりは樹齢100年を越える大きなスギがうっそうと茂っている。また、豊田市側の山腹には、国の天然記念物に指定されている珍しい菊石(球状花崗岩)がみられる。
 猿投神社は、景行天皇の皇子で小碓命(日本武尊)の双子の兄である大碓命を祀る三河三宮の式内社である。江戸時代には、禄高776石という寺社としては強大な勢力を有した由緒ある神社である。江戸時代9月9日の節句祭には、周囲の三河・尾張・美濃の186か村から「猿投合宿」と称して連れ立って献馬がなされた。猿投合宿を構成する村々は、瀬戸市域の山口・菱野・本地・今村等の村々が連なる北尾張合宿(山口合宿)や、長久手市域の北熊・前熊・大草はじめ日進市・東郷町域の村々が連なる南尾張合宿(米野木合宿)などである。祭礼前日から2日間かけて合宿参加の村々の献馬奉納が次々と行われたと伝えられている。

参考文献
『瀬戸市史 資料編一 自然』
西角井正大1988「棒の手と献馬考」『祭りと伝承 馬の頭と棒の手』日進町教育委員会
鬼頭秀明2017「祭礼と芸能」『新修 豊田市史 17 別編 民俗Ⅲ 民俗の諸相』豊田市

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