窯跡(洞・窯跡の杜)

 市指定文化財の洞本業窯の北側斜面に「洞・窯跡の杜」は位置し、平成24年に「あいち緑と森づくり事業」として里山林の整備がなされる中で埋蔵文化財包蔵地(遺跡)の確認調査を行った結果、3基の連坊式窯跡の位置や遺存状況が確認された。平成25年度から整備された里山林として公開され、平成26年には窯体の周りにかつて存在したモロの一つが調査され、操業当時の様子が明らかとなった。域内の窯跡は、西側尾根上の「洞窯跡」と、中央尾根の「東洞A窯跡」およびその下方の窯体である。
 洞窯跡では連坊式登窯の床面が比較的良好に残存し、確認された窯体の規模は、推定で全長25m、最大幅は6m以上になり、製品を焼くための焼成室は12~13房になると思われる。さらに、洞窯跡の窯体が確認された斜面の西側の調査では、本業で生産された製品が大量に出土しており、この付近が焼成に失敗した製品を投棄した「物原」が検出された。物原から出土した遺物は基本的に陶器で、古いもので18世紀中頃のものがみられたことから、少なくともその年代には本窯の操業が開始されたと考えられる。
 東洞A窯跡は、『登窯ニ關スル調査報告書』(1935年刊)には「洞奥窯」として記載され、陶器を生産した13房の焼成室からなる長大な本業窯であったとされている。調査では焚口部分の基礎のみが確認されたのみだが、江戸時代末期からの操業で、昭和20年代まで操業が続けられたとされる。なお、この窯は、現在洞と一里塚の本業窯の2つに部材を分けて再構築されている。東洞A窯跡のさらに南西下方では別の窯体が良好に残存している。
 東洞A窯跡(奥洞窯)の右手奥平坦面には、近代操業したモロ(作業場)が検出され、奥洞窯が解体移築された昭和24(1949)年頃まで本業焼の製土・成形等を行っていたものとみられる。

アクセス
電車 名鉄瀬戸線 尾張瀬戸駅から徒歩25分
車    東海環状自動車道瀬戸赤津ICを下りて、県道33号線を西へ瀬戸市街地方面に向かい、祖母懐交差点を直進し、最初の横断歩道5つ角を右折。窯垣の小径資料館駐車場に駐車し、窯垣の小径を東へ
駐車場 有(窯垣の小径資料館駐車場 33台(9:00-17:00※年末年始は閉鎖))

戻る