窯垣

旧瀬戸村のシマ(『瀬戸市歴史文化基本構想』の窯垣分布図に4つのシマのエリア等を加筆)

 「窯垣」とは登窯や石炭窯の焼成の際に使用するエンゴロ・ツク・タナイタなどの窯道具を用いた壁・塀などの総称である。幅一間ほどの小径を歩くと、家毎の工夫されて組まれた窯垣の幾何学文様、年月を経た自然釉の景色、窯元ごとの屋号の刻印などが目を楽しませてくれる。 窯垣は、瀬戸川中流域の旧瀬戸村・瀬戸町域に顕著にみられる構造物であり、有田のトンバイ塀や常滑の土管坂等のように窯業に伴う廃材を利用している。江戸時代後期から作られはじめたと考えられるが、「窯垣」の名称は昭和51(1976)年に加藤元男氏が『瀬戸もん百聞』で「”窯垣”とでも称するもの」と命名して以降用いられるようになった。 窯垣は、近代から戦後まで旧瀬戸村・瀬戸町域に広くみられたと思われるが、都市インフラの更新が顕著な瀬戸川近くや南新谷付近を中心としてコンクリート等に変えられて、部分的にしか残っていないところが多い。平成27年3月末時点では578件の窯垣が確認されている。とはいえ、観光スポットとして注目されている窯垣の小径の所在する洞地区では、残存する密度が高く、本業焼が盛んであったためか、大型のエンゴロを用いた窯垣が多い。また、北新谷地区は山際斜面地に窯垣が多くみられ、タナイタ・ツク・ハコグレを緻密に重ね合わせたものが多く、磁器の便器や碍子、ポットミル等の廃材を用いた窯垣も顕著である。郷地区や南新谷地区にも、部分的に残る窯垣には良好な保存状況のものもあり、市域の窯垣は日本遺産六古窯の瀬戸の構成遺産ともなっている。作り手としては、北新谷地区では昭和の戦前・戦後にトクゾウという伝統的な窯垣づくりの名手がいたとされ、洞地区を中心に成瀬政己氏らが同様の窯道具を用いて制作した新しいデザインの「新窯垣」と合わせ多様な窯垣が今日みられる。

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