織田信長の制札
この制札は織田信長が尾張一国を統一後間もない永禄6(1563)年に発給されたもので瀬戸物売買の振興を促すものである。全文3条からなり、末尾に信長の花押がある。第1条には瀬戸物を扱う諸郷で組織された商人の尾張国内での自由往来を認め、第2条で米穀や海産物などの取引を行う市の日の商馬の市への来訪を命じ、第3条では新たな諸課役を禁じている。
その後、瀬戸山離散で濃州水上村で窯業を営んでいた加藤新右衛門家は尾張初代藩主徳川義直に下品野村に召還され、弟三右衛門家と共に品野地区窯業再興の祖となった。制札は多くの古文書と共に累代の新右衛門家に伝えられてきた。なお、永禄6年の原本を天保8(1837)年に書き写した下書も同家に伝わっており、原本の欠失部分を補っている。
この制札は、陶器生産者に直接宛てられたのではなく、瀬戸焼売買をはじめとする市場の保護を目的として瀬戸に充てられたものであり、すでにこの時期に「瀬戸」がかなりの商業的発展を遂げていたことを裏付ける史料である。瀬戸の市場の位置については、瀬戸市の今村地区の本郷であった「市場嶋」に批定する説もあり(藤澤良祐1993『瀬戸市史 陶磁史編四』P314)、そこでは、第2条の、市の行われる「当日横道商馬停止之事」という文言は、市場町の地名の残る瀬戸川南側の道を通ることを強要したものとして解釈されている。
縦28.9、横42.9センチ。昭和53年11月1日に瀬戸市指定文化財(歴史資料)となっている。個人蔵。